東京地方裁判所 昭和38年(特わ)175号 判決 1966年8月05日
本籍
福島県会津若松市大町四之町二一番地
住居
東京都杉並区上高井戸五丁目二一三九番地
宅地建物取引業
飯塚俊一
明治四〇年七月一五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件につき当裁判所は検察官中野博士出席のうえ審理しつぎのとおり判決する。
主文
1 被告人を懲役一〇月及び判示第一の罪につき罰金六〇〇万円に、同第二の罪につき罰金四〇〇万円に処する。
2 ただしこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
3 被告人が右各罰金を完納することができないときは金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
4 訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となる事実)
被告人は昭和三六年四月頃までは東京都練馬区南町二丁目三七二四番地に、その後は肩書住居に居住して宅地建物取引業を営み専ら都内の農地所有者がその農地を東京都に住宅用地として売却するに際しその仲介斡旋を行っていたものであるが自己の所得税を免れようと企て手数料収入の一部を脱漏する等の不正な方法により所得を秘匿した上、
第一、昭和三四年度分の実際の総所得金額が一五、四〇九、五〇九円(課税総所得金額は一五、二〇三、二五九円)であったのにもかかわらず同三五年三月一五日同都練馬区栄町二三番地所轄練馬税務署において同税務署長に対し、右三四年度の所得金額が五一四、七〇〇円でありこれに対する所得金額は八九、〇〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出して同日の確定申告期限を徒過し、もって正規の所得税額七、〇七二、二九〇円と右申告所得税額八九、〇〇〇円との差額六、九八三、二九〇円を不正に免れ
第二、同三五年度分の実際の総所得金額が一二、六六九、〇九一円(課税総所得金額は一二、四三七、一二一円)であったのにかかわらず、同三六年三月一四日前記練馬税務署において、同税務署長に対し所得金額が三、一八三、〇〇〇円でありこれに対する所得税額は九八三、二〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出して確定申告期限たる同月一五日を徒過し、もって正規の所得税額五、五五〇、四〇〇円と右申告税額九八三、二〇〇円との差額四、五六七、二〇〇円を不正に免れたものである。
(なお判示第一の事実の昭和三四年度における所得計算及びほ脱項目の内容は別紙一の修正損益計算書及び同三の損益計算科目表の、その税額計算は同五の税額計算書のとおりであり、又同第二の事実の同三五年度における右同様の諸事項はそれぞれ同二の修正損益計算書、同四の損益計算科目表、同六の税額計算書のとおりである。)
(証拠の標目)
一、被告人の事業の内容及び所得税ほ脱の犯意につき
1 被告人の当公判廷における供述(ただし判示認定に副わない部分を除く)
2 被告人の検察官に対する昭和三八年二月二一日付、同年二月二八日付各供述調書
3 大蔵事務官作成の被告人に対する同年二月一日付質問てん末書
二、判示事実全般につき(括弧内に附した和数字は別紙番号を、洋数字はそのほ脱項目を示し、その証拠の証明する関係科目を表示する。なお附記のないものは判示事実全般に関するもの)
(一) 被告人の当公判廷における供述
(二) 法廷における証人の供述
証人島信正(三1)、同増島忠之助(三4)、同安田行雄(三4)、同小泉武雄(四5)、同榎本庄作(四1)、同田中こと坂本厚(三回)、(三589、四57)、同和田徳三郎(三5)、同本多亥太郎(三1)同盛山鹿蔵(三5)、同柴野直夫(三5)、同田中長松(四457)、同山下福造(三5)、同横山清作、同篠崎久治(以下両名とも三1昭和三三年度における資産再評価税の約定、納付関係)、同池田蔵三(三121011、四1238)
(三) 当裁判所の証人に対する尋問調書
証人二見龍治(三4)、同池田蔵三(三121011、四1238)、同柴野直夫(三5)
(四) 検察官に対する供述調書
1 被告人のもの(日付は作成年月日)
昭和三八年三月一日(三1567)、同年三月四日(三15789、四1456)、同年三月五日(三11、四14579)、同年三月七日(三511、四9)、同年三月八日(三11、四9)
2 参考人のもの(氏名は供述者)
内藤祐作(三1)、山本捷太郎(三5)、内藤重光(三5)、新川勇(三5)、上保安五郎(三5)、内藤庄右衛門(三7)、森下保登(四5)、大角真司(四5)、城田庄太郎(三5)、塩沢みはる(三1)安田行雄(三4)、柴野直美(三5、四5)、田中厚(三5、四5)
(五) 大蔵事務官成の質問てん末書
1 被告人のもの(日付は作成年月日)
昭和三七年七月一四日(四5)、同年一二月一日(三111、四9)、同年一二月二一日(三11、四9)、同三八年二月一日(三1)
2 参考人のもの(氏名は供述者)
清水茂夫(三1)、横山きく(三1)、増島忠之助(三4)、木部正策(三5)、秦勝右衛門(三6)、木下常蔵(三6)、内藤敏郎(三6)、天野きぬ(四1)、浦野八郎(四1)、鈴木安孝(四5)、森下保登(四5)。大角真司(四5)、細井政五郎(四1)、塩沢俊一(三1)
(六) 上申書
1 被告人のもの(日付は作成年月日)
昭和三七年七月一四(三11、四9)、同年七月二三(立替金について)
2 その他の者のもの(氏名は作成者)
阿部久義(三4)、黒川勇(三4)、篠崎金作(四1)、高橋光吉(四1)、松本松次郎(四1)、野島幸雄(四1)、大庭福治(四1)、小石澄(四1)、浦野包定(四1)、増島忠之助(四4)、榎本庄作(四1)、金子重作外一名(四1)
(七) その他の証拠書類
1 大蔵事務官池田蔵三作成のもの
三和銀行永福町支店定期預金元帳与(三23)、三和銀行永福町支店普通預金元帳与(三23)、武蔵野信用金庫西武支店銀行調査書(四16)、富士銀行松原支店調査書類(四23)、三和銀行永福町支店定期手控帳別段預金(自己宛小切手)調査書(三四2)、三和銀行永福町支店手形貸付元帳与(三10、四8)、三和銀行永福町貸付利息調査書(三10、四8)、住友銀行成城支店銀行調査書類(三1210、四128)、富士銀行中野北口支店調査書類(三四2)、富士銀行吉祥寺支店銀行調査書類(三210)、石神井農協関町支店調査書類(四8)、昭和三三年成立鷺の宮一丁目二丁目団地等地主の再評価税関係調査書類(三1)、受取支払利息計算書ほか調査書類(三21011、四289)、昭和三四年度分団地別入出金一覧表(三1)、昭和三五年分団地別入出金一覧表(四1)
2 大蔵事務官日比野七郎作成の「都営住宅用地買収証明書の提出について」と題する書面(三1、四1)
3 銀行の証明書
(1) 三和銀行永福町支店長増子昇作成のもの
普通預金元帳与に関するもの二五通(三23)、定期預金元帳与に関するもの二通(三23)、貸付金に関するもの二通(三10)
(2) 住友銀行成城支店長相羽英郎作成のもの
貸付金に関するもの(三10、四8)、預金元帳与に関するもの二通(三23、四123)、預金に関するもの(四23)
(3) 富士銀行中野北口支店長永野修治作成の「貸付金銭高証明書の提出依頼について(回答)」と題するもの(10、四8)、預金元帳与の証明書、預金残高証明書(三四23)
(4) 武蔵野信用金庫西武支店長吉永英雄作成の預金に関するもの(三10四23)、普通預金、定期預金元帳与に関するもの(四123)
(5) 富士銀行吉祥寺支店長浜田正雄作成の「予金及び貸金元帳写及び残高証明書の提出について」と題する書面(三2310)、富士銀行松原支店長渡辺栄一作成の普通預金元帳写に関するもの(三四23)、三和銀行深川支店長川口久治作成の預金残高に関するもの(四23)、三和銀行蒲田支店長川井信一作成の預金残高に関するもの(四23)
4 取引内容の照会に対する回答書(氏名は回答者)
内藤敏郎、秦治郎右衛門、秦義通、石田由光、清水鶴吉(以上いずれも三4)、上保安次郎(三5)、半田確次郎(四5)、長島良雄(三5)
5 その他東京都練馬税務事務所長作成の納税証明書(三11、四9)
(八) 証拠物(押収番号はいずれも昭和三九年押第一三一八号)
昭和三四年、同三五年度分所得税の確定申告書各一通(符第一、二号)、メモ紙一枚(同第三号)(三1)ノート一冊(同第四号)(三1)、メモ紙一枚(同第五号)(三1)、一覧表八枚、メモ紙、領収書各一枚(以上いずれも同第六号)(三1)、領収証九枚(同第七号)(三67)、領収証一枚(同第八号)(三7)、領収証請求書等一袋(同第九号)(三11、四9)、領収証三五枚(同第一〇号)(三4、四17)、領収証五枚(同第一一号)(四15)、約手、小切手、割引料計算書各一枚(同第一二号)(四5)、念書等一袋(同第一三号)(三1)、公正証書謄本一通(同第一四号)(三1)、不動産契約書一通(同第一五号)((三11、四9)、不動産契約書等一袋(同第一六号)(三11、四9)、督促状二一通(同第一七号)(三11)、領収証等一袋(同第一八号)(三5、四5)、書類一通(同第一九号)(三5、四5)、承諾書一枚(同第二〇号)(四1)、領収証一枚(同第二二号)(三11)、領収証六通(同第二三号)(三11)、領収証一枚(同第二五号)(三11)
(弁護人の主張に対する判断)
一、1、弁護人らは被告人が宅地建物取引業者として農地を都営住宅用地として東京都へ売却する行為の実態は、検察官のいうように地主が東京都に売却するのを単に仲介斡旋するものではなく先づ被告人が地主から農地を買受け、その後地主とは関係なく被告人自らがその土地を東京都に売却するものであって、ただ被告人が地主から買受ける際には被告人がその土地を東京都に売却することが条件となっているに過ぎないものであり、土地が都に売却出来るかどうか又如何なる価格で売却出来るかは被告人自身の危険負担によるものである。従って被告人の事業は仲介斡旋ではなく売買であると主張し
又これに附随し資産再評価法による資産再評価税(以下単に再評価税という)は右のような実態から地主が被告人に売却した際の土地の売却代金額を課税標準として課すべきものであるところ、税務当局は被告人が東京都に売却した際の代金額をもって課税標準として課税している。このことは被告人が東京都に転売することによる差額分をも右再評価税の課税標準に含める結果となっているが、今更に改めて被告人の右差額分の所得をも含めた総所得に対し所得税を課することは二重課税となるものであって許されないと主張する。
2 被告人は当公判廷において、被告人の事業の実態に関しおよそ弁護人らの右主張に副う旨の供述をなしているが、しかし宅地建物取引業者である被告人が農地を買受けることは農地法の諸条項によって許されないものであるのみならず、又被告人の検察官に対する昭和三八年二月二一日付、同年二月二八日付各供述調書には被告人は単に宅地建物取引業者として地主が農地を都営住宅用地として東京都に売却するに際し地主から売却の委託を受けて東京都との交渉に当り、これをまとめた上で地主の売却を完成させるよう仲介斡旋していたにとどまり、自ら土地を地主から買取りこれを都に売却するといった意思は有していなかった旨の記録が見られ、この趣旨は地主である証人横山清作、同篠崎久治、同関根鉄治の当公判廷における各供述、当裁判所の証人吉村二郎に対する証人尋問調書、内藤裕作の検察官に対する供述調書の各記載更に被告人の事業に関した不動産業者である証人島信正、同安田行雄、同盛山鹿蔵、同柴野直夫、同田中長松の当公判廷における各供述、山下捷太郎、新川勇、その他城田庄太郎の検察官に対する各供述調書の記載の各趣旨にも符合するものであり、又同様に被告人が東京都中野区鷺の宮一丁目(以下地名に関し東京都なる表示を略す)の土地を東京都に売却するため取扱った際地主の横山豊三郎外一二名が被告人他関係不動産業者に宛てた承諾書(符第二〇号)には「右私共所有の土地を貴殿を通じ都営住宅敷地として東京都に売渡す事に就いて売込保証金(借用)として貴殿より取敢ず公簿坪総数の一割金を受領(借用)し、地主連署をもって地主の代理として、地主の代表として東京都に売渡す事、測量の事、金銭受領の事等一切の権限を依頼致します」なる文言が見られ、又被告人及び証人池田蔵三の当公判廷における各供述、被告人の検察官に対する昭和三八年二月二八日付供述調書には被告人が東京都に土地の売却手続をする際には各地主の売渡委任状、印鑑証明書を又登記手続には同様各地主を売主とし、東京都知事を買主とする売買契約書、被告人への代金受領委任状、印鑑証明書をそれぞれ都側に提出していたことが認められる。以上の諸事実を総合すれば被告人は単に地主がその土地を東京都に売却するに際し、その委任を受け代理人として売買を仲介斡旋していたに過ぎないものと認められる。
弁護人らは前記各主張に際し、被告人と本多亥太郎との間になされた不動産売買契約公正証書(符第一四号)並びに被告人及び証人柴野直夫の当公判廷における各供述中東京都に土地を売却するに先立ち被告人が地主の土地をとりまとめる段階で被告人と地主との間で土地を売買する旨の公正証書が作成され、又被告人から地主に手付金が支払われた旨の供述部分をその論拠として援用するが、しかし被告人の検察官に対する昭和三八年二月二八日付供述調書では被告人が東京都に土地の売却をなすべく地主をとりまとめたとしても現実に東京都がこれを買上げて土地代金の支払をなす迄にはなお相当の日時を要し、その間都の方の土地の見分、測量、査定などが行なわれ、又ところによっては被告人の方で埋立、整地などをもなさなければ、又被告人が売却手続をなすに先立って地主から委任状、印鑑証明等を受取る際には地主の側でも売却を確保するために被告人に手付金を要求し、被告人もこれに応じなければならないなどの状況にあり、又時には一度被告人がまとめた土地でも他の不動産業者が介入して被告人の斡旋を妨げる虞もあるなどのことから被告人としても一度自分が土地をまとめた以上それを確保する必要に追られたため、地主に手付金として一定の金員を交付し、その際に地主を売主とし被告人を買主とする売買の公正契約証書を作成したのであって、被告人はこれをもって自ら真実土地の買主となる意思はなかったとの旨の記載があり、右記載は前記した被告人の行為が単なる売買の角介斡旋に過ぎないとする諸証拠にも符合し措信しうると考えられる。
又前掲各証拠からは被告人が土地を東京都に売却斡旋するに際しては通常の不動産取引の斡旋のようにその成立後当事者双方から仲介手数料を受取るといった方法をとらず、地主をとりまとめる段階であらかじめ地主との間で地主に手渡す代金額を取決め、被告人はそれを上廻る価額で東京都に売却し、地主には右取決められた代金額を支払い、その差額を自己が取得するといった方式を用いていたことが認められ、弁護人らもこの点を自らの前記主張を裏付ける論拠とするが、しかし当裁判所の証人池田蔵三に対する証人尋問調書からは東京都は土地を買上げる場合には仲介手数料の支払をしないのを慣行としていることが認められるほか、かような土地売買の斡旋に際しても不動産業者が当事者である地主から受取りうる手数料は宅地建物取引業法その他関係諸法令によって一定の限度に制限されているのであり、加えて被告人の当公判廷における供述、検察官に対する供述調書その他関係諸証拠からも被告人が地主をとりまとめこれを東京都に売込むためには単に地主らに対し一部手付金等の交付をする外莫大な交渉費、接待費の支出、他の協力した不動産業者への手数料の支払、その土地の埋立料、整地料等の出費等をなさなければならなかったような状況が認められることも併せ見ると、被告人は単に地主から宅地建物取引業法その他関係諸法令の制限手数料のみを受取ったのでは充分な自己の利益を得ることが出来ず、従ってかような現実の売却価額と地主への支払価額との差額を自己の取得とする方式をとっていたものと認めることが出来るのであって、右の点をもってしても前記した如く被告人の行為を土地売買の仲介斡旋と見るを妨げるものではない。従って又被告人の取得した、東京都から受取った売却代金額と地主に手渡した取決価額との差額は結局かかる形をもってなされた地主から受取る仲介手数料としての性質を有するものと認められ売買代金それ自体ではなく、それ故再評価税が被告人が東京都との間で定めた売買代金額をもって地主と東京都との間の売買代金額として、これを地主に対する課税標準とされることは当然であり、他方被告人の取得した仲介手数料自体は再評価税の対象となるものではないから被告人の収益として他の所得と合せて所得税の対象となることも又当然といわなければならず、その間に何ら二重課税の問題を生ずる余地はない。弁護人のこの点に関する主張は理由がない。
二、昭和三四年度において認容さるべき経費の主張
(一)1 弁護人らは昭和三三年度中に東京都に売却された中野区鷺の宮一丁目二丁目三丁目の土地に関し被告人が同三四年四月、所轄中野税務署に納付した再評価税一一、〇〇一、八七二円は被告人の同三四年度の必要経費として認容さるべきであるとし、その根拠として、
イ 資産再評価法第四七条、第五四条によれば再評価税は再評価さるべき資産の譲渡のあった日の翌年の二月一六日から三月一五日までに当該資産についてそれぞれ再評価額、再評価差額、再評価税額を申告し、納税しなければならないとあるから、右鷺の宮の土地について再評価税額が終局的に確定されるのは譲渡のあった時即ち昭和三三年度ではなく同税の申告納付のなされた時即ち同三四年度であるから、同年度の経費とみられるべきである。
ロ 仮にそうでないとするも被告人は右再評価税を地主に代って支払ったものであるが、被告人は昭和三三年中に右支払を地主に約束したことはなく、翌三四年の納税期を経過した後、地主達が被告人のところへ再評価税を地主に代って支払ってくれるよう申込んで来たので、被告人は今後の土地とりまとめの便宜も考えてはじめて支払うことを決意したものであるから、被告人の支払義務の確定は同三四年度であるとみなければならず従って同年度の交渉費として経費とみるべきである。
ハ 又仮にそうでないとするも被告人は従来所得の算出には現金収支の方法により現実になされた出捐をもって損益計算をして来たものであり、これは継続的な観点から見れば何ら不当なものではなく会計慣行としても認められているものである。従って本件の場合前記再評価税額は昭和三四年四月支出されたものであるから同年度の経費として計上されるべきである。
と主張する。
2イ 先づ証人池田蔵三の当公判廷における供述、当裁判所の同証人に対する証人尋問調書、及び同証人の作成した「昭和三三年成立鷺の宮一丁目三丁目団地等地主の再評価税関係調査書類」によれば被告人が昭和三四年四月に地主に代って中野税務署に納付した再評価税は同月二一日中野区鷺の宮一丁目二丁目三丁目(一部同区野方町、大和町に属するものも含む)にわたる萩野喜次郎外三六名の土地に関する再評価本税八、七三五、一一〇円、同利子税九一、六〇〇円と翌二二日同区鷺の宮一丁目二丁目(一部同区大和町に属するものも含む)にわたる竹内竹次郎外八名の土地に関する再評価本税一、〇二〇、一四〇円、同利子税一〇、八〇〇円であることが認められる。(弁護人の主張価税合計一一、〇〇一、八七二円の数額の根拠は右に掲記した証人池田の供述、同証人に対する尋問調書、同証人の作成した調査書類では同証人が被告人の所得を調査した際作成した昭和三三年度分の貸借対照表において未払費用として計上した金額が一一、〇〇一、八七二円であるから弁護人はその数額をそのまま引用したものと思われるが、しかし右未払費用の主要部分が右鷺の宮の土地関係での再評価税でもって構成されているとはいえそれがすべてではなく、その外に同様に昭和三三年度東京都に売却になった杉並区上高井戸の土地の再評価税の一部等も含まれているものであり、弁護人らが前記鷺の宮の土地に関し主張しうる金額はその論旨より見て前記再評価本税の二口分合計九、七五五、二五〇円のみである。なお証人池田の当公判廷における尋問中弁護人の質問の趣旨からは弁護人は右再評価本税に附随する利子税も右金額に含まれるものと解しているようにも思われるけれども利子税は税の納期を徒過した後に発生するものであるからその性質上当然に昭和三四年度分に計上されるものであり検察官の主張においても同年度の経費として計上済である。昌頭陳述書添付の別紙第三1(4)第三1(4)参照)
ロ 次に再評価税の納付義務の発生及びその税額の確定の点について見るに、再評価税は資産再評価法に基き再評価さるべき資産が譲渡等によりその所有者に評価差額が取得されたことに対して課税さるべき税であるから、その性質上右評価差額の取得の時点において課税されるものであることは当然であり、従って右資産の譲渡が確定すると同時にその所有者に納税義務が成立するものといわなければならない。(他に同様の個別課税方法をとるものとして相続税、消費税、通行税、取引税などかある。)そして右税額も右資産再評価法のほか同法施行規則等の関係諸法令にその再評価方法、再評価税率等、再評価税額の算出方法が規定されており、それらに基き一定の方法で算出されうるものである。そうすれば資産の譲渡が確定すれば即時再評価絶の納付義務は成立しそれと同時にその税額も客観的に確定したものということが出来るのであって、納税義務者が後日これを遂一具体的に計算することは単なる事後措置としてその税額を確認する所為に過ぎず、又税務当局に対するその納税申告もこの確認された結果を申告する行為であって、前記資産再評価法第四七条第五四条が同税の申告納付時期を譲渡のあった日の翌年の二月一六日から三月一五日迄と期定していたとしてもそれはただ同法が税務事務の処理上その期間を区切ったまでのことであって、同期日の到来とともに納税義務が発生し又、納付申告をまってその税額が確定されるものと見るべき根拠となすことをうるものではない。それ故再評価税をその納付義務の成立確定した年度において、たとえ現実に未だ納付されていなくても当期においてこれを損益計算上経費と見て損金勘定に借方税金と計上し、又貸借対照表上も当期において貸方未払税金と仕訳し、翌期において現実に納付がなされたとき借方支払税金、貸方現金として仕訳すべきは簿記会計上も当然といわなければならない。従って弁護人のいう前記鷺の宮一丁目ないし三丁目の土地が東京都に売却されたのは昭和三三年度中であることは関係証拠から明らかであるから、同土地に関する再評価税の納付義務、納付額も同年度に確定されたものとして同年度の支出経費で処置さるべきものであって昭和三四年度の経費として見るべきものではない、弁護人のこの点に関する主張は理由がない。
ハ 次に被告人が右鷺の宮の各地主に対し再評価税を代って負担する旨の約束をした時点について検討するに、被告人の検察官に対する昭和三八年三月四日及び三月八日付各供述調書には、昭和三三年に東京都に売却になった右鷺の宮一丁目ないし三丁目の土地につき地主をとりまとめる過程において地主に対し同土地の再評価税を被告人が地主に代って負担する旨の約束をなし、そのため昭和三四年度に入ってから右約束をたてに地主からその支払方を要求されて約九〇〇万円支払った旨の記載があるところ、他方証人坂本厚(田中厚に同人の旧姓)、同横山清作、同篠崎久治の当公判廷における供述及び符第一七号督促状二一通によれば、被告人は右鷺の宮の土地を昭和三三年東京都に売却(正確には前記した如く地主の代理人としての売却以下同様)したのであるが、被告人は地主との交渉過程でそのとりまとめの条件として再評価税を地主に代って負担する旨の約束をしたこと、しかしその後同年中地主のとりまとめを一応終って地主との間で公正証書が作成された際、その公正証書には別段再評価税負担の文言が記載されていないのは当時被告人の仕事を手伝っていた坂本厚が地主側の代表であった横山清作らに対し、再評価税負担の事項は公正証書中に記載しないで口頭での約束としておこうといったことによること、昭和三四年に入り、右再評価税の納税期が到来しても右鷺の宮の土地の地主四七名は誰一人納税し又納税しようとしたものがいなかったこと、そして右納税期の徒過後、所轄中野税務署から、納税督促状の送達を受けた各地主は右坂本を通して被告人にその支払納付方を要求し、被告人は右要求に従つて前記イで記述した如く同年四月二一日、同二二日それぞれ再評価本税及び同利子税を納付したことの各事実を認めることができる。なお被告人は当公判廷において地主の再評価税を負担する約束があるならば同税の納税申告手続は被告人の方で一括して行う筈であるのにかような手続をとつたことがないと述べ右約束のあつたことを否定するが、証人横山清作、同篠崎久治、同関根鉄治の当公判廷における供述、当裁判所の証人吉村二郎に対する証人尋問調書では右鷺の宮の地主の中では何人もこの再評価税の納税申告をした者がないことが認められる外、証人坂本厚の当公判廷における供述からは、被告人は右土地を東京都に売却した後、都から土地売買の証明書を一括して受取りこれを右坂本に手交し後日同人は各地主のところを廻つてそれぞれ書類に印鑑の押捺を求めたことのあつたことなどの事実が認められ、かつ前掲符第一七号の督促状はいずれも納税申告者に対する督促状であることから見て、右納税申告は被告人か或は被告人の仕事を手伝つていた坂本厚らが一括して行つたものと見られ被告人の右供述は措信しえない。そうすれば結局被告人が昭和三三年に再評価税を地主に代つて負担することを約束したとする旨の被告人の検察官に対する前掲供述調書中の記載は右のような客観的諸状況にも符合するものであつて措信しうるものであり、右事実を否定する被告人の当公判廷における供述は措信できない。
従つて被告人が昭和三四年四月に支払つた再評価税合計九、七五五、二五〇円は昭和三三年中の右鷺の宮の土地が売却された日にその納税義務及びその税額が確定し、かつそれに先立つてなされた納税義務者である地主に代つて支払う旨の約束に基き同日被告人の負う債務として確定したものといえるから、右同三三年の支払経費と見られ、現実に出捐のなされた同三四年の経費として計上さるべきものではない。弁護人の右主張も理由がない。
ニ 又次に弁護人の主張する現実に出捐のなされた年度の経費として損益計算をする方法はなるほど現実の金員の出入が明らかになるにしても損益の発生と現金の収支とは必ずしも一致せず期間的損益計算を行わなければならない現代の所得計算の原理に反するものであり(仮にこのような方法で計算すれば右九七五万円余りの再評価税分は被告人の昭和三三年度の利益の中に加えられるが、右利益の中には結局翌三四年度に被告人が出捐しなければならぬ債務が含まれているという点が把握されない結果になる)現在の会計処理上はもつぱら権利関係の確定(又はその発生ともいう)をもつて損益計算をなすいわゆる権利確定主義が税務会計上の原則として確立されているものであつて、弁護人の主張する現金収支方法の如きは企業会計上も容認されていないから弁護人らのこの点に関する主張も又理由がない。(なお弁護人らの主張自体においても後記柴野に対する支払手数料二三〇万円、坂本厚に対する支払手数料六九〇万円などの各主張はいずれも右権利確定方法を前掲とする主張である。)
(二) 次に弁護人らは柴野直夫に対する手数料の支払に関し、
1. 柴野直夫は不動産業者ではあるが、昭和三四年前後専ら被告人に付いて被告人の都営住宅用地の買付けの仕事に下働らきとして従事していた者であるが、かような業者の被告人に対する報酬支払請求権の発生及びその支払時期は被告人が地主との間で土地をとりまとめ売買契約をなした時であり、その額は右の売買代金額の三分ということになつていた。しかし現実には被告人が都の方に売却してその代金の支払を受ける迄は金額報酬を支払うことができないので、右のように地主との売買契約が成立した時はその一部のみを支払い残額は都から金が入る迄支払を猶予してもらう形にしていた。ところで
イ 右柴野は被告人の下働らきとして昭和三四年世田ケ谷区千歳船橋の土地約八〇〇〇坪をとりまとめ同年四月同土地について被告人と地主との間で公正証書をもつて売買契約がなされた。
従つて柴野は同年被告人に対し同土地のとりまとめの報酬として二三〇万円の手数料請求権を取得したので被告人の経費として二三〇万円が計上されなければならない。
ロ 仮にそうでないとするも右柴野は昭和三五年被告人に返済すべき金員九〇万円を右土地の手数料に充当したので少なくとも右九〇万円が右土地に関する被告人の柴野に対する手数料の支払として認容されなければならないと主張し、更に右千歳船橋の土地に関するものの外
ハ 被告人は昭和三四年度において柴野に対し合計一〇〇万円を支払つているが右は杉並区上高井戸三丁目五丁目の都営住宅用地をとりまとめた際の協力特別手数料として支払つたものであるから右金額は同年度の経費として計上さるべきであり
ニ 又仮に右一〇〇万円が右上高井戸の土地の手数料と認められないとしても、柴野のような専ら被告人の下でその仕事を手伝つている業者に対してはたとえその手掛けた土地が未だ地主との間で売買契約をなす迄に至らない段階であつても、被告人は同人らが安心して仕事に従事しうるようにその生活を保障してやらなければならなかつた。このため被告人は将来売買契約が出来た時に支払わなければならないであろう手数料を見越してあらかじめ業者達に一部手数料の前渡をなし、後日契約が成立して手数料の支払がなされる際にこの前渡分を差引いてその残余を支払うということにしていた。しかしかように手数料の前渡がなされた場合たとえ手掛けた土地のとりまとめに失敗し、地主との間で売買契約をなすに至らずに終つたとしてもその前渡をした手数料は現実に被告人に返還されることはなかつた。従つて右一〇〇万円はかような趣旨における手数料の支払として被告人の経費に計上さるべきものであると主張する。
2. 先づ被告人の事業の実体が弁護人の主張するように土地の売買ではなく、単に地主が都営住宅用地として東京都に土地を売却するに際し、それを仲介斡旋する性質を有するに過ぎないものであることは前記一で記述したとおりである。
次に被告人と柴野直夫との関係を検討するに、被告人及び証人田中長松、同柴野直夫、同坂本厚の当公判廷における各供述、被告人の検察官に対する昭和三八年三月四日付供述調書。柴野直夫、田中厚の検察官に対する各供述調書を総合すると、不動産業者である柴野直夫は同様の業者である坂本厚、田中長松らとともに専ら被告人の下で被告人の都営住宅用地のとりまとめの仕事のみに従事していたこと、そして仕事の上での被告人との関係は先づ柴野らが自ら都営住宅用地に適する土地を物色し、そこの地主らを打診した上で或程度住宅用地として地主らをまとめうるとの見込が立ち、又東京都の方へも売却することが出来そうだと思われる段階になるとこれを被告人のところへ持込み、被告人もこの話を聞いて右の土地が住宅用地として東京都に売却しうると判断した場合以後被告人は柴野らの業者を手伝わせこれと協力して共同で最終的に土地のとりまとめにかかつたこと、柴野のような専ら被告人の仕事にのみ従事する業者は自分自身としては資力に乏しく地主らを打診する際の交渉費、或はその後土地のとりまとめに入つた段階においてもその支出する一部の費用を自ら負担することが出来ないこともあつてその場合には適宜被告人から費用を前借りしてこれに当てていたこと、他方被告人のところへ東京都の住宅用地として売却方を依頼して話を持込む者は必らずしも柴野のような被告人の専属的業者のみに限らず他の独立した不動産業者もあつたこと、そして被告人はかような独立した業者に対しては同土地が東京都に売却され、都から売買代金の支払がなされた際前記一で記述したように被告人の差額取得分から適宜手数料を支払つていたこと、しかし柴野のような専属的な業者は被告人から受ける手数料の外他に収入の道がなく、且つ都営住宅用地はそのとりまとめにかかつてからも都に売却出来る迄に普通数年という長期間を要するので被告人は柴野らの生活を保障する意味からも将来都に売却出来た際に支払う手数料の一部を時には同人らの要求に応じ、又時には資金的なゆとりを見てとりまとめを終つて地主との間で売買契約がなされた段階で適宜前渡をしていたこと、そしてかような費用の前貸し、手数料の前渡しとして渡された金員は後日被告人が都から売却代金を受取り最終的に各業者に手数料を支払う段階で清算し、被告人は右金額を控除してその残余を手数料として支払つていたこと、被告人の支払う手数料の額は一般には売買代金額の三分という一応の基準があつたが、被告人は時には自己の収益の多寡や仕事の難易、時には業者の働らき具合、協力程度をも加味して或は右基準よりも多く或は少なく適宜裁量で支払つていたこと、
しかして土地とりまとめの費用としての前貸し、又生活費としての手数料の一部前渡し(これらの金員は現実にはさほど明確に区別されていない場合もあり又柴野らも相互に混用していたようである)がなされたものの、土地を都の方に売却する迄に至らなかつた場合は柴野らはかような金員を直接被告人に返済する能力もなかつたことから被告人はこれを貸金の形で残し、後日別の住宅用地で都に売却することの出来たものがあつた際に同人らに対して支払う手数料があればこれから併せて控除して清算するということにしていたこと、
柴野は主として世田谷区千歳船橋及び上北沢杉並区上高井戸などの各土地のとりまとめに関与したが、千歳船橋の土地は昭和三四年度に地主のとりまとめは出来たものの未だに東京都の方には売却できず、同区上北沢の土地は柴野はとりまとめの途中で被告人のもとを離れ(同土地は同三五年に東京都に売却になつた)上高井戸の土地は同三三年同三四年に分かれて東京都に売却になつた。
との事実を認めることができる。
3.イ. しかして弁護人の主張する手数料二三〇万円について見るに、証人柴野の当公判廷における供述では同人は前記千歳船橋の土地約八〇〇〇坪をとりまとめた手数料二三〇万円ないし二四〇万円を被告人に対して要求する権利がある旨の供述をなし、弁護人らは同供述を論拠として前記主張をするが、同人の検察官に対する供述調書と併せ見るならば同人のいう二三〇万円(弁護人は一応右の寡額の方で主張するので以下これによることにする)は結局前記2でも記述したように同人は被告人が土地をとりまとめ地主との間で売買契約の公正証書を作成する段階で柴野らのような下働らきの者に対し手数料の一部を支払つてくれることもあり、現に杉並区上高井戸の土地の場合にもかような支払をしてくれたから千歳船橋の土地でもかような支払をうけるものと同人において一方的に期待していたというに過ぎず、かつその支払も被告人の裁量によるものであつて、同土地が東京都への売却が実現しない限り被告人の柴野に対する手数料支払債務は確定していないのであるから弁護人の主張は採用しない。
ロ 又右二三〇万円のうち少なくとも九〇万円については手数料支払として認容さるべきであるとする弁護人の主張につき検討するに、被告人、証人柴野、同坂本の前掲各供述、当裁判所の証人柴野に対する証人尋問調書、柴野、田中厚の検察官に対する各供述調書を総合すると、
被告人は昭和三四年九月中野区鷺の宮四丁目の土地をとりまとめようとした際、柴野を通じて不動産業者松田某にとりまとめの費用として三四〇万円を手渡したが結局とりまとめることが出来なかつた。そこで被告人は柴野を通じ松田某に対し右三四〇万円の返済を請求したところ松田はその後間もなくうち二五〇万円を知したが後九〇万円の返済が遅れ、結局翌三五年七月から九月にかけて小切手にて合計九〇万円を柴野に渡した。ところが当時既に土地の売却斡旋のことで被告人と意を異にし被告人の許を離れていた柴野は自分には被告人から千歳船橋の件で手数料を貰う権利があるとして勝手に右九〇万円を着服して費消し被告人に渡さなかつた。ところが昭和三八年三月たまたま本件被告事件の参考人として東京地方検察庁に出頭した柴野は同庁で被告人に出遭つた際この九〇万円について話したところ、被告人は千歳船橋の土地は未だ東京都に売却されていないからその手数料として支払うわけにはいかないが既に売却になり柴野も被告人と別れる前途中迄とりまとめに関与したことのある上北沢土地の手数料ということで支払おうといい柴野もこれを了承し、後日柴野は日付を逆らせて昭和三五年とした領収証を書いて被告人に渡した。との各事実を認めることが出来る。
そうすれば右九〇万円は結局柴野が同三五年当時被告人に手渡すべき金を勝手に使込んだというに過ぎず、千歳船橋の土地の手数料自体の支払が未だ被告人の確定した債務とみなしえないこと前記2、3イで記述したとおりであつて、右九〇万円については同三四年度は勿論、同三五年度の経費としても認容することができない。
又仮に右九〇万円を世田ケ谷区上北沢の土地の手数料として支払われたものとして見ても(この点被告人は当公判廷において上北沢の土地の手数料であることを否定し、千歳船橋の手数料として支払つたと述べているが)右柴野の上北沢の土地のとりまとめの経緯及び程度から見て右土地が東京都に売却されると同時に柴野が当然に被告人に確定的に手数料の支払を請求しうるものとは言い難く、仮に被告人が好意的に柴野にも手数料を支払うつもりでいたとしてもその額とともに支払の充当が確定されたのは結局昭和三八年三月の前記検察庁での話合の結果であるから、同様に同三四、同三五年度の経費と見ることも出来ない。
4. 次に弁護人らの主張する一〇〇万円について検討するに、被告人及び証人柴野の前掲供述、当裁判所の証人柴野に対する前掲尋問調書、被告人の検察官に対する昭和三八年三月一日付、同月四日付各供述調書、柴野直夫の検察官に対する前掲供述調書によると、
被告人は昭和三四年度東京都に売却になつた杉並区上高井戸の土地に関し、手数料として柴野に九〇万円(この詳細な額は符第七号領収証では八三五、八五〇円である)を支払つた外に幾回にもわけて前貸した貸金があつた、しかしその額は必らずしも明らかではなかつたが(柴野の右供述及び尋問調書、供述調書では四〇万ないし六〇万位だと思うとあり、被告人の右供述及び供述調書では被告人は約一〇〇万円あつたと述べている)前記した昭和三八年三月両者が東京地方検察庁で話し合つた際、右前貸金についてはこれを被告人のいう一〇〇万円という額で柴野も了承し、同金額を被告人が上高井戸の土地の協力特別手数料ということで柴野に支払つたことにする合意が出来、柴野は後日前記千歳船橋の件の九〇万円と同様に日付を逆らせて昭和三五年一二月二五日として領収証一通を被告人に手渡した。
との各事実を認めることができる。
そうすれば、右一〇〇万円とされた金額は昭和三四年、同三五年度においては未だ被告人の柴野に対する貸金に過ぎず(同貸金が上高井戸の土地の手数料としての性格を帯びるのは右記のように検察庁における被告人の柴野との話合の結果であるから同三八年度である)同三四、三五年度の手数料支払として経費と見ることは出来ない。
(三)1. 次に弁護人は被告人は被告人は昭和三四年度春日野市(当時は南多摩郡日野町)所在の土地を都営住宅地用としてとりまとめるための費用として田中長松に対し一五〇万円支払つたから同金額は同右年度の経費として認容さるべきであると主張する。(なお弁護人らは右一五〇万円を手数料として述べているがその趣旨からとりまとめの費用の意味と見られる)
2. 被告人、証人田中長松の当公判廷における供述、符第二二号領収証によれば田中長松は被告人から昭和三四年春日野所在の八ツ山、八の頭、南名の高台地を都営住宅用地としてとりまとめるため数回にわたり交渉費、接待費として計一五〇万円を受取つたことが認められる。
検察官は谷雅知の検察官に対する供述調書には昭和三四年八月頃小宮山なる者が日野町附近の土地のとりまとめに来て、その二、三回後から同人は田中長松といつしよに来るようになつた旨の記載があることから前記符第二二号領収証は日付が同年三月六日になつていて時期的に早過ぎ疑わしい点があること、又田中長松の大蔵事務官宛の上申書には被告人から受取つた手数料等の一覧記載の中に右日野の一五〇万円の記載がないこと、及び証人田中長松は当裁判所における供述中で同証人は日野の一五〇万円については本件被告事件の調査当時石塚なる査察官に申し述べたと述べているがかような名の査察官は昭和三三年以降東京国税局に勤務したことがない旨の電話聴取書の記載を根拠に被告人の日野市についての一五〇万円の支出を争うが、谷雅知の前掲供述調書に添付された「趣旨書」と題する書面では日野町の土地は既に昭和三四年春から住宅地としての買収運動が起されていた旨の記載もあり、又田中長松の上申書も既に昭和三四年当時から三年余りも経て作成されたものであり、又当公判廷における供述も本件被告事件の調査当時から二年以上も経過した後のことであるからそれぞれ忘却・記憶違い等がありうるものであつて、右のような状況からは前記認定事実を覆えすことは出来ないと考える。
従つて右一五〇万円を昭和三四年度における日野市関係の土地とりまとめ費用として認容する。
(四)1. 次に弁護人は被告人が昭和三四年に山下福造に対して支払つた五〇、〇〇〇円は同人に対する給料的性格を有する手数料として計上さるべきであると主張する。
2. 符第二一号領収証によれば同証には「金五万円也、但し右金員は柴野様を通して拝借しました。山下福造、飯塚様」なる記載があり、被告人及び証人山下福造の当公判廷における供述によれば、山下は以前正規の登録はしていなかつたが不動産取引を行い、昭和三四年、同三五年頃は被告人の下で他の専属的業者と同様専ら都営住宅用地のとりまとめを手伝つていたが、自己の生活にも困つたことから昭和三五年一月以降他の専属業者と異り土地のとりまとめ売却の成否による手数料ではなく月々被告人から給料を貰つて仕事をするようになつたこと、そして同人が昭和三四年頃柴野とともに千歳船橋の土地をまとめていた際そのための経費として同年一月七日柴野を通して被告人から五〇、〇〇〇円借用したこと、その後右土地が東京都へ売却されないままなので右借用金もそのまま放置されていたものであることが認められる。従つて右五〇、〇〇〇円は山下の借用金であつて同人の給料或は手数料と見らるべき何らの根拠はない。
(五)1. 次に弁護人は昭和三四年度東京都に売却になつた世田ケ谷区成城町の住宅用地に関し、被告人はそのとりまとめに当つた不動産業者和田徳太郎に対し合計一二〇万円の手数料を払つたのに検察官はうち八〇万円を計上主張しているのみであるから残額四〇万円は追加計上されるべきであると主張する。
2. 被告人は当公判廷においては弁護人の右主張に副う供述をなしているけれども、被告人の検察官に対する昭和三八年三月四日付供述調書では右土地に関して和田徳三郎に支払つた手数料は八〇万円である旨の記載があり、又証人和田徳三郎も当公判廷における供述では手数料として八〇万円貰つた旨供述しているのみであつて、被告人の当公判廷での右供述は他にこれに副う証拠もなくにわかに措信しえず結局右和田に対する手数料は八〇万円と認められる。弁護人らの右追加計上の主張は理由がない。
(六)1. 次に弁護人らは、被告人は杉並区高井戸の土地を住宅用地として東京都に売却する際に二見土建に依頼して同土地の整地をした。このため同土建に整地料として五〇〇万円支払つた。同土地は東京都へ数回に分かれて売却されたがその一部は昭和三三年にその残余は同三四年に売却になつたので右五〇〇万円をその整地坪数のうち同三四年に売却になつた部分の坪数に比例按分した金額二、八八六、二一八円は同三四年度分の整地料として認容さるべきである。又この外被告人が同三四年二見土建に対し税手当として二〇〇万円支払つたが、これは被告人の交際費的性格を有するものであり同年度の雑費として計上さるべきであると主張する。
2. 被告人及び証人島信正、同増島忠之助、同安田行雄の当公判廷における各供述、当裁判所の証人二見龍治に対する証人尋問調書、被告人の検察官に対する昭和三八年三月一日付供述調書、安田行雄の検察官に対する供述調書、大蔵事務官作成の「都営住宅用地買収証明書の提出について」と題する書面、符第一〇号領収証を総合すると
イ、 被告人は杉並区上高井戸三丁目五丁目の土地合計一五、〇〇〇坪余を住宅用地として東京都に売却するに当り、同土地は低く湿地であつたためその埋立をする必要があり昭和三三年土建業者増田忠之助に同土地の埋立を相談したところ、同人は同業の大野土建、北村土建、本田土建に依頼し、右三土建業者は同年七月頃から同土地の埋立工事を始めた。ところが同年秋台風のため附近の河川が溢れ、埋立中の土地に浸水して工事は被害を蒙り、当初予定した工事期間が遅れ、翌三四年三、四月頃までかかつた。そのため被告人の方も東京都に売却する時期が遅れ、同三三年から三四年にかけて三回に分割して都に納入した。三土建業者は被告人の代金支払が遅れることなどの理由で一応埋立はしたものの工事の後半ではやや粗雑な埋立方をし、埋立地はところどころ水溜りを残すような状況であつた。同三四年三月頃東京都から同土地の査察があつた際査察官から水溜りは埋めておくように指示された。しかし右のように水溜があるということは都の買上価格に多少影響することもある程度であつて同土地が住宅用地として不適格といつた程度のものではなく又同土地はその後別に都の方の検査もなくそのまま買上げられたこと、
ロ、他方これとは別に被告人は当時昭和三三年度分の所得納税申告に際し、自己の所得を逋脱しようと企て、同土地のとりまとめに関係した不動産業者内藤重光、安田行雄、島信正らと相談し、結局被告人の支払う右上高井戸の土地の整地料を水増して架空の経費支出を装うことにし、同三四年春同土地の埋立を行つていた三土建業者に対し実際に支払つた埋立整地料の外架空の水増整地料の領収証を書くように求めたが、同土建業者らは水増分の税を負担しなければならなくなるのを虞れて応じなかつたため、今度は架空の土建業者名義で領収証を書くことを求め、結局右三業者に併せて二千数百万円に上る架空名義の水増整地料の領収証を書かせた。(なお右水増領収証の宛名が右上高井戸の地主宛名になつていたことから、被告人が地主に代つて水増された整地料を支払つた形に作為したものと考えられる)ところが昭和三三年度の被告人の納税申告は所轄税務署の調査の結果右水増された整地料の支払いに疑をもたれ、これを知つた被告人は再度前記内藤、安田、増島らと相談し、その頃たまたま仕事を求めて増島方にやつて来た二見土建の二見龍治に右安田、増島らが話を持ちかけ、二見が上高井戸の土地の前記三土建業者が埋立工事をした後を形だけ手を加えて整地したということにし架空の整地料を受取つたという領収証を書いてくれるよう頼んだ。右二見はこれを了承したがその際かような領収証を書くからには自分の方でもこれに合わせて帳簿等をつくらねばならないからと報酬を要求した。その後二見は自分の使つていた人夫頭桜庭某に指示して同土地にトラツクで五、六台土を運び込んで地ならししただけで同年七月頃二千数百万円にのぼる架空の領収証を書いて被告人に渡した。被告人はこれに対する報酬として税手当という名目で二〇〇万円を増島、安田を通じて二見に手渡した。(なお上高井戸の土地には島信正のとりまとめた分も含まれているので同人は二見に一五〇万円同様して渡した。)との各事実を認めることができる。
そうすれが被告人は当公判廷における供述及び検察官に対する昭和三八年三月一日付供述調書中で右二見に対して整地料として五〇〇万円支払つたと述べているが右支払の事実は右認定事実からは否定せざるをえず、従つて弁護人の主張する昭和三四年度に該当する整地料二、八八六、二一八円もこれを認めることは出来ない。又弁護人の主張する税手当二〇〇万円もかような支出は事業の必要な経費とは認められず単なる利益処分に過ぎないと見られるからこの点に関する弁護人の主張も採用できない。
3. なおこの点に関連し、弁護人は検察官が冒頭陳述において二見土建に対する整地料五〇〇万円を被告人の支出経費として主張しながら、第三〇回公判期日において訴因を変更し右経費を削除したのは被告人の防禦に不利益を与えるものであつて許されないと主張するが同公判期日において主任弁護人は右訴因変更に異議はないと述べておるのみならず、右二見土建の整地料に関しては第四回公判期日における証人増島忠え助、同安田行雄及び第九回公判期日における当裁判所の証人二見龍治に対する証人尋問調書の各取調べの際充分審理されたものであつて第三〇回公判期日における検察官の訴因変更は被告人の防禦に何ら不利益を及ぼすものではなく右主張も採用しない。
(七) 又弁護人らは被告人は昭和三四年度において瀬戸事務所に対し謄本料一六、一〇〇円、都政新報社に広告料三、〇〇〇円をそれぞれ支払つたが右は被告人の同年度における事務費、広告宣伝費としていずれも認容さるべきであると主張し、符第二三号領収証六通、同第二五号領収証一通によれば右各事実が認められるのでいずれもこれを支出経費として認容する。
三、次に弁護人らは昭和三四年度について仮に以上主張した各経費の支出計上が認められないとしても被告人は従来その年度において支出された費用はすべてその年度の経費になるものとして処理していたのであり、右支出中には再評価税の一一、〇〇一、八七二円、二見土建に対する税手当二〇〇万円等が含まれそれらはいずれも同年度の経費とし計上しうるものと信じていたのであるから検察官の主張する逋脱所得金はいずれも被告人において詐偽その他不正の方法によつて所得を逋脱するという認識を欠いていたことになるから逋脱税は成立しないと主張する。
しかし、大蔵事務官作成の被告人に対する昭和三八年二月一日付質問てん末書及び被告人の検察官に対する同年二月二一日付、同年三月五日付各供述調書中でも被告人は同三四年度、同三五年度にはそれぞれ約一、〇〇〇万円位の所得があつたが納税申告においてはいずれも所得を隠匿し所得税を逋脱する意思をもつて虚偽に過少の額を記載した申告書を所轄税務署に提出した旨述べているのであつて右事実からも被告人が右各年度にそれぞれ所得税を逋脱する犯意を有していたことを認めることが出来るのであつて弁護人の右主張は採用出来ない。
四、昭和三五年度において認容さるべき経費の主張
(一)1. 弁護人らは被告人には昭和三五年度坂本厚に対する鷺の宮一丁目ないし三丁目の土地のとりまとめた手数料として六九〇万円が計上認容されるべきであるとし、その根拠として、
坂本が被告人の下で専属的な業者として働いていた当時鷺の宮一丁目ないし三丁目の土地約三〇、〇〇〇坪を都営住宅用地として被告人のところに持込んだ。被告人はこの時坂本に対し右土地が都へ売却できた時には同人に一、〇〇〇万円の手数料を与えると約束した。そこで坂本は右鷺の宮の各丁目の土地及びその附近の大和町の土地約一三、〇〇〇坪をまとめた。その後坂本は被告人と仲違いしたのでその手数料は支払われないままになつた。昭和三五年一二月初頃坂本は右土地とりまとめの手数料として六九〇万円を被告人に請求した。従つて右金額は被告人の同年度の支払手数料として認容されるべきである。
仮にそうでないとするも、被告人は右請求を受けた後坂本と話し合つた結果同年一二月末頃右のうち二三〇万円を支払う旨の合意が出来翌三六年一月右金員を坂本に対して支払つた、従つて少なくとも右二三〇万円は昭和三五年度の支払手数料として認容さるべきである。
と主張する。
2. 先ず被告人と坂本厚との関係を見るに被告人及び証人田中長松、同坂本厚の当公判廷における供述、田中厚の検察官に対する供述調書、符第一九号書類一通同第二四号示談契約書一通を総合すると、
坂本厚は不動産業者であるが昭和二九年頃から前記柴野直夫らと同様に被告人の下で専属的業者として専ら都営住宅用地のとりまとめに協力し、主として中野区鷺の宮方面の土地のとりまとめに従事していた、ところで右坂本が被告人のところに鷺の宮の話を持込んだ頃同方面の土地一〇万坪をまとめて一、〇〇〇万円の利益を上げたいと話し、被告人もそれ位にはなるだろうと話していた。しかし被告人及び坂本がまとめて東京都に売却できた鷺の宮方面の土地は結局二五、〇〇〇坪位であつた、坂本は同土地に関し、被告人から昭和三三年中に東京都に売却された分につき二四〇万円、同三四年一二月二三日売却された分につき五〇万円、同三五年七月七日売却された分につき五〇万円をそれぞれ手数料として受取つた。
ところが同三五年八月頃鷺の宮二丁目の福蔵院附近の土地約二、〇〇〇坪が都に売却できなかつたところ、坂本は被告人に無断でこれを警視庁の自警会に売却したことから被告人の叱責を買い以後次第に被告人の許を離れて行つた。
坂本は被告人の許を去つた後多くの借金を持ち生活にも窮するようになつた。そして同年一二月初頃坂本は被告人から鷺の宮の土地に関しまだ手数料として六九〇万円ほか移籍料の貰い分があるとして、東京都建築局宛に書面でその調査方を申請しようとし又その頃同業の不動産業者仲間に被告人からまだ手数料の貰い分があるなどと言い触したりした。
同年末頃坂本の窮状を見かねた田中長松は被告人に坂本への援助を頼んだところ被告人は坂本には払う金は何もないと一度は断つたがしかしなお事情を話して頼み結局被告人と坂本との間で被告人は坂本の負つていた借金二〇九万円及びその利息を立替弁済し更に生活資金として一〇万円を貸し、その際坂本は村山勝所有名義の宅地建物を被告人に担保として提供し、右元利合計約二三〇万円の立替金、貸金の返済は後日坂本が再び被告人のところで働らきその利益の中から漸次返済に当るという旨の合意が出来、田中長松は被告人から受取つた金員で坂本のそれまでの債務を返済した。
しかしその後坂本は右のようにして被告人から借り受けた金を鷺の宮の土地の手数料として被告人から貰つたものだというようになり、依然被告人のところで働らかなかつたばかりかその担保に供した宅地建物は後日被告人に無断で他に売却し、被告人の右貸金の返済方の請求にもかかわらず坂本は未だその返済はしていない。
との各事実を認めることが出来る。
3. しかして坂本が主張する右鷺の宮の土地に関する支払手数料六九〇万円の根拠は如何なるものかは明らかでない。即ち、符第一九号書類ではその根拠として内田弥三郎外二三名のとりまとめ分二八〇万円、篠崎久治外一〇名分一五〇万円、横山豊三郎外二名分六〇万円、横山清作外一二名分一〇〇万円、石井当一外五名分一〇〇万円の合計六九〇万円とあり右金額は被告人の売上金の利益の一割に当るものである旨の記載がある。
しかし坂本の当公判廷における供述ではその根拠として被告人が坂本に対し当初鷺の宮の土地をまとめれば一、〇〇〇万円やるといつたその残額であるとも又銀行で被告人が都から受取つた金を調べそれから各地主に支払つた手取金額を差引いた残りの一割であるとも述べている。
右一、〇〇〇万円を与えると約束したという前提は前記2で記述したように鷺の宮の土地一〇万坪がまとまつて売却できた場合のことであり又そのことも坂本と被告人との話の中で希望的な話題として出た程度と認められるのであつて明確な約束とはいえず又被告人の差額取得分の一割とする前提も被告人が更にその中から諸経費を支出するので即被告人の売上利益とはいえず又坂本の手数料を被告人のえた利益又は取得分の一割とする根拠も全く不明である。
そうすれば右坂本の主張した手数料六九〇万円は所詮は全く根拠のない坂本自身の言い分に過ぎないものであつて、これを論拠とする弁護人の主張は失当であり、又被告人が坂本のために支払つた二三〇万円も前記2で認定したとおり被告人の坂本に対する貸金であつて同様に手数料の支払として認容しうるものではなく弁護人のこの点に関する主張も又理由がない。
(二) 最後に弁護人らは被告人が鈴木安孝に対して支払つた手数料は合計七六万円であるのに検察官はうち六〇万円のみしか計上してないので残額一六万円は手数料支払として計上認容さるべきであると主張するが証人鈴木安孝の当公判廷における供述によるも同人の受取つた手数料は結局あらかじめ受取つた費用も含めて六〇万円であり、それ以上に認められず又被告人の検察官に対する昭和三八年三月五日付供述調書の記載もこれに符合し、弁護人のこの点に関する主張は認められない。
(検察官の主張する訴因中の経費支出についての判断)
検察官は昭和三四年度経費支出として
1. 移築料、及び立退料(冒頭陳述書添付別表第三損益計算科目表8、9)鷺の官の土地買収に際し、横山豊三郎の所有地上の居住人に移築させるための費用として二五〇、九〇〇円を、同居住人を立退かせるための費用として一五〇、〇〇〇円をそれぞれ各別の経費として主張するが証人坂本厚の当公判廷における供述、及び田中厚の検察官に対する供述調書によれば右移築料は右立退料をすべて含めて二五〇、九〇〇円であることが認められるので立退料一五〇、〇〇〇円は否認し削除する。
2. 又右坂本の供述及び田中の供述調書では坂本は右横山豊三郎の土地に関し、昭和三四年中整地料として六五、〇〇〇円、井戸掘費として三七、〇〇〇円、同三八年二月に樋・塀等の費用五〇、〇〇〇円、同居人の日当として二三、二八〇円の合計一七五、二八〇円をいずれも被告人の支払費用を立替え支払つたことが認められ、右費用支出はいずれも右横山所有の土地の買収に伴つて発生したものと見うるから同三四年度分において経費支出として認容する。
3. 又検察官はその他経費(前掲別表11)として不成立契約分等費用中<5>東村山町八、〇〇〇坪の経費二〇〇、〇〇〇円を計上するが、しかし被告人の検察官に対する昭和三八年三月八日付供述調書では右土地の取まとめに使つた経費は昭和三五年度中に一〇〇、〇〇〇円位、同三六年度中に一〇〇、〇〇〇円位支出した旨の記載があり、同三四年中に経費の支出があつたとは認められないから右三四年の計費として経上された二〇〇、〇〇〇円を否認し削除する。
4 なお検察官が昭和三四年度分として主張する上高井戸団地の飯塚(一般)取扱分の地主への支払金額四二、一六九、六七一円は違算であつて四二、一六六、八三一円であるので同金額に修正する。
(法令の適用)
被告人の判示所為はいずれも昭和四〇年法律第三三号付則第三五条により同二九年法律第五二号によつて改正された所得税法第六九条第一項に各該当するところ、右各罪につきいずれも所定刑中懲役刑及び罰金刑を併科することとし、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文第一〇により犯情重いと認める判示第一の罪の刑に法定の加重をなしその刑期範囲内において被告人を懲役一〇月に処し、罰金刑については前記所得税法第七三条本文第六九条(判示第一の罪につき同条第一項第二項同第二の罪につき同条第一項)によりその各所定罰金額の範囲で被告人を判示第一の罪につき罰金六〇〇万円、同第二の罪につき罰金四〇〇万円に各処し、諸般の情状に照し刑法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することにし被告人が右各罰金を完納することができない場合は刑法第一八条により金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人の負担とする。
よつて主文のとおり判決する。
昭和四一年六月二八日
(裁判長裁判官 鈴木重光 裁判官 福島重雄 裁判官 武藤冬士己)
別紙1
修正損益計算書
昭和34年度
<省略>
別紙2
修正損益計算書
昭和35年度
<省略>
別紙3
損益計算科目
昭和34年度
<省略>
<省略>
<省略>
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<省略>
別紙4
損益計算科目
昭和35年分
<省略>
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別紙5
昭和34年分税額計算書
<省略>
別紙6
昭和35年分税額計算書
<省略>